2013年1月25日金曜日

『青年と死』(大正三年八月十四日)

芥川龍之介というのは、誠に早熟の作家である。幼少の頃から勉学において優秀だったらしいし、一高、東大と正に当時のエリートコースを歩んできている。しかも芥川の入学した文科大学英文学科は難関で、数名の合格者しか出さなかったと言うから、その秀才ぶりは推して知るべしである。ほぼ定員割れしていた仏文科に入った太宰や、高校での成績が良かったため無試験で法学部に入った三島とは、同じ東大でもえらい違いである。

いや、私は本来文学には学歴など不要と思っている。私はただ芥川が早熟だと言いたかっただけだ。それは例えば全集を買って本棚に並べてみた時に分かる。有名作品の殆どが初期に位置し、中期になるとまあちらほらある程度で、後期に至るともうアフォリズム集とか『河童』や『歯車』など、余程のマニアじゃないと読まないであろう作品ばかりである。早熟で、最初はいい。だが後年になってくると何か文学上の迷いのようなものが垣間見えてくる。そしてご存知の通り自殺してしまう。

この早熟さは、作品にも影響していると思う。彼の作品の殆どが短編である。長編にも挑戦はしているものの、成功していない。つまり、この作家のスゴさというのは、偏に瞬発力にあったのではないかと思う。短編なら、一気に書けば一日で書いてしまえる。短期間で集中して成果を出すというのが芥川の最大の才能だったと思う。それを思えば学業試験や入試などのペーパーテストが得意だったというのも辻褄が合う。

この早熟の作家は、早くも本作『青年と死』で頭角を現し始めている。これは戯曲形式で綴られた物語であるが、「死」というものが一人の男の姿を借りて登場する所が面白い。そして結末では、死を忘れていた男は殺され、死を忘れなかった男は生き延びた。死を忘れ、快楽を追い求めた前者の男は、その快楽さえ死の化身であることを見抜けなかった、故に却って近づいていたのである。死を忘れなかった後者の男は、ずっと死を意識し続けて、死を願いさえしていたのだ。だが死を忘れなかったが故に死は彼を生かした。死にたいと思っている人に限って生き残る。それは死を忘れないからである。そういう逆説が何か教訓的に描かれている。

芥川はこのときから既に「死にたい」と思っていたのかも知れない。彼の虚無的な価値観を以てすればあり得る事だ。そして「死にたい」と思っている自分がのうのうと生き残っている事に不条理を感じていたのだとすれば、この死を忘れなかった男とは正に芥川本人に他ならない。


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